九頭龍王 その3

阿蘇山 宝池の九頭龍神

九州・英彦山に伝え残されている書『彦山流記』には、仏教的な九頭龍伝承が語られています。

【原文】
玉屋窟有聖人名臥験、大巌窟中一千日間伏臥修行法、又観諸法皆空之旨如菩提石室、因之其名云臥験。 (中略) 九州斗藪問肥後国阿蘇峰攀登、嶺嶽為体七宝所成峯高峙遥開四門扉、八功徳水池潔澄自畳五色波、四波羅密三解脱門皆備其音。南山之影西日之光悉有異色、金洲之浜敷銀砂、真珠樹々問花交色荘厳如浄土。更非凡夫所見、行者発希有心願拝宝池主信心堅固捧般若宝味、未誦三巻先現鷹形。行者云、鷹是小鳥王非宝池主云。重誦秘密咒現俗形。是行者云、俗形是世間躰全非池主。又誦法花経現僧形。是仏法主不能宝池主。此等皆偽事云。次現小龍形、行者尚不用之。次現十一面観音、光明赫赫、尚以不用之、吾不拝宝池実体不帰云。尽心信砕肝胆誦顕密貴文弥増法味。己及半月敢无見物無、于時従池中有声告云。於宝池正体者汝不能拝、罪障尚重故也云々。爰行者起大嗔恚云、我是大聖明王持者三界摂領有頼、悪魔降伏不疑、十二大夫加護八大童子随形、第六天魔王尚繋縛、何況余者乎云、誦経論章疏要文、秘密真言神咒唱、凝邪正一如観念修真二諦法理之間、山動地騒四方悉如長夜闇。爰九頭八面大龍出現、自山高自嶺長、一面有三目似春日並出、九頭有三目如暁星照耀、口吐大炎同迦楼羅焔、其身満虚空。其気如大風。開眼看之再无見之、行者迷悶既思被呑、数発強盛念、以所持金剛杵正面一眼中打留之、如夢四方悉晴、行者見宝池本主、遂本意速下向路、(中略)于時空中有声告云、我汝法施依妙雖現種々身形、云真実正躰極楽世界被云阿弥陀、娑婆世界被云十一面観音、再登御嶽重可拝宝躰云々。仍昇嶺嶽見彼宝池无徳云、見蓮大知池深見雨盛悟龍瞋云、以此思彼我得見宝池実躰、龍神者彼池顕和光真身施化度利生歟。空中又声云、酬汝法楽示種々身形云、眼根尚有障不能見本地云々。行者重住定印凝无生懺悔、時自霊峯頂十一面観自在尊坐千葉蓮花放大光明照行者頂、彼光明照十方世界三十二相八十種好具足奉拝金容躰畢、所謂先現鷹身、是於霊山会説法花時同聞衆形也、次示俗形者、是彦磐龍命大明神也、次示僧形、比叡山座主良源也、龍身宝池主无契池大龍也、十一面観音是当山峯常住本尊大悲利生実体也、凡眼罪障故令不見云々。行者心中歓喜踊躍作礼而去、此大龍者説法花同聞衆娑伽羅龍王阿那婆達多羅龍王第三王子、是則十一面観音化身歟
【訳】
大巌窟で千日の伏臥修行の後、諸法は皆 空である旨をその石室で観じた。かの釈尊が菩提樹で悟ったように。その修めをもって臥験という名となった。
臥験はやがて九州の肥後国は阿蘇の峰に登り、山の嶺嶽をもって法華経にある七宝の(塔の相を顕す)場所となっており、高い峯が四(方に広がる波羅蜜への)門の扉となって開き、そびえていることを理解した。八功徳の水は池に清潔さをもって澄みわたり、自ら五色の波をたて広がっていた。そのさざなみは四波羅蜜、三解脱門を備えており、奏で出されていた。南山に落ちる夕日の光が湖池の浜を金色に染め上げ、銀色の砂が敷詰められる。樹木の間に間に花の色が重なり交わり、極楽浄土の如き荘厳さを呈していた。般若宝珠なる信心堅固な至誠を捧げ、凡夫の決して見ることは出来ないこの宝池の主に拝することを心から願い経を誦した。法華経の第三巻目に達する前に、まず鷹が現れた。しかし、「小鳥の王でこの宝池の主に相応しくない」と言って退けた。更に俗人・僧侶・竜が現れては、その一つ一つを池の主ではないと退けた。そして、十一面観音が現れ光明が赫々と輝くに至った。それでも、池の主ではないと退け、さらに経を唱え続けた。
臥験は半月にも及んで敢え無く見る物事が無かった。その時、修法に従事していた 池の中から声があって 臥験に告げ言う。 「宝池において、主の正体を汝が拝む事あたわず。罪障が重いゆえなり」と言う。 臥験は大いに激して言った。「我は是 三界を領有し治める知識や学問を身につけた聖なる持明者である。悪魔降伏を信じて疑わない。八大童子が随う十二神将よ加護し給え。第六天魔王をなお繋ぎ縛れ。何者が余の状況を評してかように言うか。」と。臥験は経論章疏の要文を誦し、秘密真言や神咒を唱え、邪も正も一如であると念を凝らし観じて真俗二諦の法理を修める間、山は動き地は騒ぎ 四方は悉く長い夜の闇の如くになった。
そして、ついに九頭八面の大龍が出現するに至った。その龍は阿蘇の山のように高く嶺のように長く、それぞれの顔面には三つの目が春の太陽のように出て、あるいは暁の星(金星)の如く照り輝いていた。龍の口から吐かれる大炎は同じく迦楼羅焔の如く照るのだった。その身は虚空をうめて満ち満ちる程の巨大さだった。その気迫は大風の如く勢いをもっていた。龍に呑まれると思い、法力を込めて持っている金剛杵を大龍の顔にある三つの眼をめがけて打ち込んだ。すると、龍は姿を消し、四方はあまねく晴れ渡った。
臥験は、池の主に会う願いを達したと思い、山を下りにかかる。すると、蒼天 にわかに かき曇り、大雨となり、川は洪水と化した。臥験は川を渡れなくなったので、山中の他の道を探すことにした。ようやく一軒の小屋が見つかったところ、そこには一人の若い女性がいるのだった。臥験は、泊めてくれるよう頼むと、快く承諾された。
臥験が裸になって濡れた着物を乾かそうとしていると、その年若い女性は、裸の臥験に自分の着物を着せようとした。臥験は、修行の身にとって女性は不浄であるから、その着物は羽織れない旨を言い 彼女の好意を断った。すると、女性は怒って「仏様は慈悲平等の心を教えていて、浄、不浄などを言いません」と言い、臥験が断るのを無理に着せようとした。そうこうしている間に臥験に欲心が起こった。まだ知らない男女の交わりを試そうと女性を押さえつけた。女性は抵抗して、「まず口を吸って接吻して下さい」と懇願した。しかし、臥験は「自分は日夜、口で秘密真言を唱える身だから、それは出来ない」と言う。しかし、女性は「それでは目的が達せられないでしょう」と言うので、しかたなく口を吸った途端、舌を噛み切られた。臥験は気絶してその場に倒れた。女性は大竜となって天に昇って行った。臥験が意識をとりもどして辺りを見ると、女性も家も自分の舌までもなく、山中に独り取り残されていた。
臥験は犯した罪を悔い、不動明王に念じて「舌を元通りにならしめ給え」と一心に念じていると、一四~五歳くらいの童子が出て来て臥験の舌を撫でた。すると舌は元通りとなり、心身ともに安らかになった。そのとき天空の高みより声があった。「我は、汝が修法を施した事に対して、汝が妙に思うとも種々の身に形を現した。(女性が汝の身体に良かれと思って衣をかけようとしたのと同様に)真実の正しい身体というものには、極楽世界では阿弥陀と言う衣を被っている。この娑婆世界では十一面観音という衣を被っている。再び(阿蘇に)登り 重ねて御嶽を拝すべし 宝の身体(躰)を」と仰るのだった。
臥験は、ただちに御岳に登る。また、天空より声がして言う。「汝の修法によって楽々示された種々の身形を観ても、眼根・心根に障りがあるから本地を見抜くことが出来ないのだ」と。臥験は、その場に重ねて座し印を結び凝らしてただ無性に懺悔の意を尽くした。「霊峯の頂で十一面観自在尊が千の葉の蓮花に坐し 自ずから放たれる大光明に臥験が照らされたあの瞬間、かの光明は十方世界を遍く照らし、三十二相八十種好を具足奉る金色相(こんじきそう)と一つとなり音楽・芸術・美を司る畢婆迦羅の神の身体そのものとなっていた。先ず現れた鷹の身のことを言うと、是は霊山において会い法華経が説かれる時の同聞衆の身形である。次に示された俗な身形を示した者、是は健磐龍命(タケイワタツノミコト、阿蘇大明神)なり。次に僧の身形を示した者、是は比叡山座主良源(912年~ 985年)、次に現れた龍身は、この宝池の主として契りの無い池の大龍なり。最後に現れた十一面観音が当山の峯に常に住まわれる本尊で、大慈大悲の大御心で衆生に利益を与えんとする実体なり。汝の眼に罪障があるから実体を見ぬくことが出来なかったのだ。」
臥験は心から歓喜踊躍して感謝の礼表して、その場を去っています。九頭の龍からは若い女性、そして天空からの声として現れた此の大龍者こそ、法華経に説かれている同聞衆、娑伽羅龍王、阿那婆達多羅龍王の第三王子です。それはつまり十一面観音の化身ということです。
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葛城二十八宿 犬鳴山の奇瑞譚

役の小角が葛城山系の山々の峰に法華経二十八品をそれぞれ二十八箇所に埋めたという伝説があります。その法華経に登場する仏教の守護神・八大竜王が葛城山の山頂に祀られていて、八大竜王の4番目に数えられる和修吉こと九頭龍大神が葛城山に連なり法華経第八品が埋宝されている犬鳴山内の九頭龍神社です。そして今も正式に祀られています。

宇多天皇の御世(887年~ 897年)の義犬伝説により名付けられた犬鳴山ですが、その山に坐す七宝瀧寺です。中興の祖・見滝上人が寛文10年(1670年)この犬鳴山普住の際に、役の小角の勧請による 本尊 倶利伽羅大竜不動明王に奉告、勤行のため本堂へ向かわれている時の事でした。天空に向かって昇りゆく黒竜と白竜、二柱の竜王の類いまれなる瑞祥を目撃しました。上人は深く感動し、感激されてこの二竜を山の護法神として格別に神明大権現の御神号を呈し奉り祭祀されました。爾来発達繁昌を念ずる参拝者の絶えることがなかったといいます。またいつの頃からか頭部を癒す神で、中風除けの守護としても霊験ありと崇められ信仰されるようにとなりました。

京都 八瀬大原の九頭龍弁才天伝説

1954年(昭和29年)11月24日に、大西正治朗(1913 - 1988)という人へお告げがありました。京都の八瀬大原に九頭竜大社が建立されることとなりました。そこでは、繞道(にょうどう)を通ることを思わせる日本では珍しい参拝の方法を推奨しています。それから後の夢でのお告げでは、日本へのテロ攻撃も警告されたことがあるといいます。

仏教と九頭竜の関連

仏教では九頭竜はヴァースキ(和修吉)です。シェーシャ(Śeṣa)と同一視されることもあり、須弥山を守るとされています。 シェーシャはインド神話に登場するナーガラージャで、カシュヤパ仙とカドゥルーの間に生まれた1000のナーガの1人で、その姿は千の頭をもつ巨大な蛇とされて、千の頭の一つ一つに卍の印がついている他、イヤリング、王冠、花冠も身につけています。

仏教伝播で中国に伝わった際に、八大竜王の和修吉竜王となって九頭一神の龍となりました。それから後に神仏習合され九頭竜は仏教と神道を守る神となりました。八大竜王は密教の信仰でもあり、現世利益を強く求める密教においては九頭竜は雨乞いをつかさどる神となりました。日本の九頭竜が九頭竜権現と呼ばれる場合の本地仏は、弁才天または和修吉竜王です。

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